absolute value ジャンル:似非SF


あらすじ
個人航行艇を自損事故で壊してローンを抱えたエージェントが、科学者とその子犬を天王星までガードする仕事を請け負った。
 想定される危険性は科学者の熱狂的なファンが一人と言う話だったはずが、宇宙旅行に出た矢先、彼らの乗る航行艇が爆発するトラブルへと撒き込まれる。
 強気なエージェント×小生意気な科学者。


冒頭部


 『全て異常なし』なことを確認して、俺はゆっくりとスタータースイッチを捻る。音や振動は伝わってこないものの、操縦画面には回転数と出力を示すエンジンウインドウが開き、第一エンジンが正常に起動した事を教える。
 アンカーロープを切り離し、さらに回転数を上げるためにアクセルレバーをほんの少し上方へと押す。同時にブレーキレバーを徐々に下げ、機体を緩やかに動かし始める。
 オレンジ色のライトに照らされた発進用通路のうちで、たった一ヶ所グリーンで照らされた場所にさしかかると、俺はブレーキレバーを0値へと一気に落とす。
と同時にギアを切り替えて、第二エンジンをも起動させる。
 小さなオレンジ色のライト一つ一つの四角がはっきりわかっていた速度から、一つのラインの様に感じる速度にまで機体は加速をはじめる。
 不意にオレンジのライトが途切れ、左後方に大きな金色の月面が現れ、目の前には漆黒に浮かぶ無数の銀砂が飛び込んでくる。
 最新モデルSRX‐5 個人用宇宙航行艇が月面から遠く千五百キロの地点まで運んでくれた曳航艇から無事発進出来た事を確認し、とりあえず火星へ向かうR―Mルートへと機体を乗せた。
 操縦をマニュアルからオートへ切りかえると、俺は背伸びをして座席に身体を固定していたシートベルトを外した。毎度の事ながら緊張する発進は、訓練さえ積めば技術的に難しい事などない。にもかかわらず、何度受けても試験に落ちる奴もいる。ナビゲートシートに座る依頼人は、七度受けて七度落ちたと言う信じられない経歴の持ち主だった。
 ちらりとそのナビゲートシートを見ると、奴は子犬の入ったケージとリュックタイプのカバンを抱えたままベルトも外さずにスクリーンを凝視していた。
「……どうした?」
「―――なあ、あれってエンジントラブル知らせるマーカーじゃん?」
「何云ってんだ。エンジントラブル起きたらマーカーと同時にエマージェンシーコール鳴り響いて、スクリーンにでかでかと……」
 さすが七度も落ちた奴は云うことが違うとあざ笑いかけた俺は、画面右上に開かれたトラブルウインドウに絶句した。黄色いマーカーが点滅して乗員総退避を促す事実に、俺の意識は呆然とする。だが、そんな意識とは反対に、身体は慣れた行動を取る。
 ナビゲートシートのベルトを外し、子犬と荷物を抱えた奴を抱きすくめる。転がるように運転席の脇に備えつけられた救急艇へと駆け込んで、隔壁を下ろす。
 運転席から切り離される振動と同時に強いGがかかり、床へ伏せたままの奴の口からうめくような声が漏れる。
 爆発音と振動と破片がぶつかる金属打音がしばらく続いたあと、不意に訪れた静寂に、俺と奴の安堵の溜息が狭い救急艇内で響いた。

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