リトル・リトル・リトル
ジャンル:南国現代FT


あらすじ
 成功したデザイナーの証として名を冠した紅茶を出すために、婦人服デザイナー、ギルフォード・ウォレスは南の小さな島ローニュを訪れる。そこには王の為に栽培された茶葉があるという噂だった。
 その茶葉を手に入れるために交渉に訪れた王宮で、彼は少年と出会った。その少年がラランと呼ばれるこの国の王都は知らぬまま、彼は少年に心を奪われる。
 デザイナー×少年王


冒頭部


 成功したデザイナーの出すものが、二つある。一つは香水で、もう一つが紅茶である。
 特に紅茶は売るのではなく、店を訪れた得意客への接待に使うため、なくてはならないものである。


「成り上がりらしく、シャンパンででも接待すれば良い」
 ぱたんとスケッチブックを閉じて顔を上げ、投げやりな口調で彼はそう答えた。
 サヴィル・ロウに本店を、パリとミラノ、ニューヨークに支店を持つ「ウォレス」は、紳士服の老舗である。そのウォレスが三年前に立ち上げた婦人服部門の専属デザイナー、ギルフォード・ウォレスは、ロンドンの本店から押しかけてきたマネージャー、エリザベス・モーガンを前にして溜息をつき、手にしていたスケッチブックを机の上へと置いた。
「何を馬鹿な事を云ってるの、ギルフォード。そんな真似、ウォレスの品位が疑われるじゃないの」
 綺麗に整えられた眉を顰め、彼女は机の上に片手を乗せ、椅子に座るデザイナーの顔を覗き込むようにして呆れたように吐き捨てた。自分と同じ薄氷色の彼女の目を見つめて、彼はすぐに云い返す。
「でなきゃ、ブレンダーにウォレスらしいものを発注すれば良い。香水も、調香師に適当に」
「ギルフォード! バカを云うのも休み休みにしてくれないかしら。適当に作らせたものに、文句をつけてぶち壊したのは貴方でしょう?」
 エリザベスが額を押さえ、嘆息する。それを横目で見ながら、彼はすっかり散らかしてしまった工房の机を整える。
「あんなまずい紅茶を出すくらいなら、スタンドで淹れてもらった方がましだと云っただけだ。スタンドがお気に召さないのなら、ハロッズの14番ブレンドをどうぞ。あれならどう淹れても不味くは無い」
 数冊のスケッチブックを重ねて僅かに空いているスペースへと寄せ、その後で広げたデザイン画を手に取る。
 そんな彼の行動を眺めていたエリザベスは、声を荒げた。
「そんなものをどなたに出せというの!」
「だから、出すなら既製品で十分だと」
「いいこと? 出来上がりかけた紅茶に駄目出しをしたのは、貴方。香水も同系列の香りを考えていたので、当然計画は中止。その責任を貴方が取るのは、当然でしょう?」
 そろそろ「ギルフォード・ウォレス」の名前で香水と紅茶をと云われ続けて一年が経つ。にもかかわらず、そのどちらもまだ発売されていない。それどころか、現在計画は白紙へと戻っていた。
 計画と同時に進行していた香水と紅茶の開発を白紙に戻させたのは、ギルフォード本人だった。一ヶ月前、本店と各支店の販売責任者も含めた戦略会議の中。案として提出された紅茶の試作品に彼が、「こんなものにギルフォードの名前が冠されるくらいなら、婦人服部門のデザイナーを降りる」と宣言した事が原因だった。
 顧客にこんな不味い紅茶を飲ませるくらいなら、スタンドから淹れたての物を買って来て飲ませた方が良いと云い放った彼に対し、社長であり実父であるアルバート・ウォレスが、なら自分で考えてみろと云い置いた。以降コレクションの準備に追われる最中であっても、本店から派遣されたエリザベスにより、一日に一度は紅茶のプロジェクトについて早く何とかしろとせっつかれ続けている。
 そして今日もまた出勤してきた彼を捕まえて一番に、エリザベスは云った。成功した証である名前を冠した紅茶で接待せずに、一体何で顧客を持て成すつもりかと。
 毎日のように繰り返される言葉に、良い加減彼はうんざりとしていた。
「リズ…」
 手にしていたデザイン画を机に戻し、彼は顔を上げてエリザベスを見上げる。
 コレクションを終えたデザインの中から、既製服(レディメイド)へと降ろすものを選んでいたためにデザイン画が幾つも広げられた机を指して、ギルフォードは溜息をついた。
「本当に売れてる店なら、made to order(オートクチュール)とready made(プレタポルテ)をそれぞれ別なデザイナーにさせるだろう? 婦人服部門はまだまだ成功しているとは云い難い。そのうえ、こうして休暇に出かける間際まで両方をデザインし続けるデザイナーに、紅茶と香水をプロデュースしろと?」
 本来なら今頃はトランクと共にイレブンジズを取って、休暇一日目の午前を堪能しているはずだった。それがトランクとともに工房へ「出勤」しているのは、既製服のデザインがなかなか決まらなかった所為だった。
 自分のデザインが勝手に弄られる事を良しとせず、今まで既製服専門のアシスタントデザイナーを置かなかった己の性格に、ギルフォードはこの時ばかりは損をしていると思った。その所為でマネージャーのエリザベスに掴まり、だらだらとどうでも良い事を聞かされてしまっているのだからと。
 それもこれも件の「紅茶」が掛けた余計なプレッシャーのためだと思うと、そんなものを放り出していっそ業界からリタイアしてしまおうかと出来る訳もない事を考えてしまう。
「あら、そんなに難しいかしら? 駄目出しするだけじゃなく、貴方の考える『ギルフォード・ウォレス』のイメージを具体的に相手に伝えるって」
「難しいという問題じゃない、リズ。仕立て屋は服を作る。紅茶は、ティハウスに任せれば良い。だいたいリズは余所のブランドメーカーが出してる紅茶を上手いと感じた事があるか? 私はサヴィル・ロウの『ウォレス』を飲むくらいなら、ハロッズを飲む方が断然ましだといつも思うんだが」
 ウォレスの出している男性用香水と同じ、柑橘系の着香されたアッサムベースの紅茶は、彼にはお世辞にも美味いと云えない代物だった。
 だが、本店派遣の有能マネージャーの意見は逆のものらしい。口の端を持ち上げて微笑み、エリザベスはデザイナーの言葉を否定した。
「バーバリーのは美味しかったわよ。オーダーのためのソファに座っているとなおさら。良い加減諦めなさい、ギル。客は美味しい紅茶を飲みに来るんじゃないわよ。『ギルフォード・ウォレス』のオーダーを、もしくはレディを購入する常連だと云う優越感を。他では味わえないブレンドと共に、飲み干したいだけなんだから」
 腕を組み、それにと続けるエリザベスにギルフォードは物云いたげな視線を投げかけ、机の上のデザイン画を取りまとめた。
「それにイメージを伝えるのが難しくないなら、話は簡単よ。ブレンダーと調香師に貴方のイメージを伝えてちょうだい。……ああ、今すぐにじゃないわよ。休暇明けで構わないわ」
「リズ、私に休暇を取るなというつもりか?」
 デザイン画とスケッチブックを抱え棚にしまうために椅子から立ち上がったギルフォードは、エリザベスのその言葉に情けない声を上げた。

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