秋雨夜話 ジャンル:和風ファンタジー(平安時代モドキ)


あらすじ
九尾の狐・玉藻は、ある日でかけた市で公達に出会う。それは百年前に別れた、彼の最愛の主にそっくりだった。
公達に懐いた玉藻は、彼の邸宅で過ごすようになる。
殿上童として宮中に出仕するようにもなったそんなある日、とんでもない事件が起こってしまう。



冒頭部


 西国の都は、炎に包まれていた。「永く安寧で在れ」と願いつけられた町の名に反し、わずか二十五年ほどの短い栄華を終え灰塵へと変わっていく。そして都の奥に建てられた城もまた、混乱の窮みにあった。
 宝庫に積まれた黄金や玉は持ち去られ、女官たちは逃げ惑う。乱雑な足音を立て、房室と言う房室の扉を開け城の主を探す兵士たちもまた、興奮の頂にあった。
 だが決して彼らが宝庫を荒らしたわけではない。略奪や逃げる者への乱暴は、彼らを率いる将軍達によって禁じられていた。その禁を破った者にどのような処罰が下るものかは、彼らが永寧に進入した際、何人もの同僚が身をもって教えてくれた。
 そんな狂乱を余所に城の一番奥の房室は、いつもと変わらぬ時が流れていた。薄布を垂らしたその後ろのながいす楊に、永寧に在りと謳われた佳人が腰を下ろしていた。いつもの昼下がりと同じく、佳人の膝を枕に眠る中老の男の髪をそっと梳きながら。穏やかな歌を謳いながら。
 誰の流したものか、風が血の匂いを連れて薄布を揺らし房室を通り抜ける。大きな音が房室に響いたのは、風が帳を倒した音ではなく、何人の兵士が乱暴に扉を開けたその音だった。
「貴妃と帝にあらせますな」
 見事な文様の甲冑を着た兵士が、帳の薄布を上げ二人の前へと立つ。帝と呼ばれた男は、だがうっとりと目を閉じたまま、佳人もこれまた男の髪を梳くままであった。
 冑を取り、腰の太刀へと手をやりながら、男は二言ほど口の中で小さく呟いた。それを聞きとめた佳人の手が一瞬だけ動きを止めた。
 男が太刀を振り上げ、おろすまでの短い間。それが世に言う「秋律革命」の終わりであった。


「若様、若様。お加減はもうよろしいのか?」
「都へ参りましょう、若様。人を化かして楽しみましょう」
「いえいえ、人を操り、罪を犯させ首を吊らせてやりましょう」
「何を何を。若様はそんな品の無いことを望みませぬぞ。だれぞ高尚な僧に嘘のお告げをいたしましょう」
 桂の山の奥の館。その東の対屋は、今日も騒がしい。ぐったりと横になる若者の周りを、子供達が飛び回る。
「うるさいぞ、童ども」
 ひらりと若者が手を振ると、子供達は飛び回るのを止め、床へと座る。
「いまだ、あの男に斬られた尾が痛む」
 傷はとうに癒えたとは云え、心の傷までは癒えてはいない。溜息をついた若者が寝返りをうつと、子供達はまた囃し立てる。
「なれば人の腕を切り落としましょう」
「何を、炎を操りて、邸を一つ、焼きましょう」
「何の、美しい女性に化けて、牛のシバリ酒を飲ませましょう」
「どれもつまらん」
 うんっと背伸びをした若者は、体を起こして立ちあがる。
「あれや、若様。どちらに?」
 几帳の向こうで細々と仕度していた女房装束の老女が、ひょいと顔を覗かせる。その手にあった白湯の入った杯を受け取り飲み干して、若者はもう一度背を伸ばした。
「子狐どもが小うるさい。ついてくるなよ、童ども」
 良く見れば、子供達には三角の耳やらひげやら、ふさふさの尻尾がついている。
 ひょいと若者がすのこ賽子の端から飛び降りると、その姿はすいかんすがた水干姿の童になっていた。
「若様若様、どちらへとお出かけで?」
 庭の隅から、慌てて爺が飛び出してくる。一族の、彼の守役を務める爺に笑いかけ、彼は門へと向かった。
「子狐どもがうるそうて傷が痛むゆえ、都を見てくる」
「後生ですから、供をお連れくださいませ」
 都もなにぶん、物騒ですので。それから続く年寄りの長説教を遮って、彼は門から外へと出た。
「くれぐれも、お気をつけて」
 年寄説教 なすびの花は 後で必ず実を結ぶ。数刻後になって爺の言葉を聞いておけば良かったと悔やむことも知らず、彼は良く晴れた空を八波の都へ向かって駆け出した。


 八波の都の人込みの中、彼はちょこちょこと駆けて回る。子狐たちの云うように、人を誑かす為ではない。元来、彼は人という種に対して友好的であったから、子狐たちの提案のような罪をかぶせたり、酒と偽って牛のシバリを飲ませたり等という悪戯事はあまりしない。
 そんなことをせずとも、愛くるしい水干姿の童に物売りたちは非常に優しい。首を傾げて商いを見ていれば、果物を分けてくれたり、「手伝うか? ぼうず」と言われ、ほんの少し荷を持つだけで、小遣い程度の銭をくれたりする。
 ――――もっとも、彼の配下の狐が人間相手にまっとうな商いをして銭を稼いでくれているので、彼が何か買うのに困ったりはしないのだが。
 市に並ぶ店をあちこち冷やかして歩き、仔犬を見つけては後を追ったりする。顔見知りの物売りたちと挨拶を交しながらも、何時の間にか人気の無い小径へと入りこんでいた。
 道で出会うのは目付きのあまり良くない者ばかり。多少の不安を覚えたものの、もっともいざとなれば空へと駆けあがれば済む。彼は簡単にそう考え、ちょこちょこと路を進んだ。こざっぱりとした水干姿と、愛らしい顔に勝手に値が付けられていることも知らずに。
 角を曲がってまっすぐ進めば、朱雀大路へ抜けられるはず。物騒な視線を振切るように駆け出そうとした時に、まず、口を押さえられた。抵抗する間も呪を唱える間もなく、後ろへ引き倒され、逃亡と抵抗を防ぐためか足の上に重い体を乗せられる。
「高く売ってやるから、おとなしくしろや。ぼうず」
 手を動かして精一杯暴れる彼ににやりと笑い、足の上に乗った男は右手を振り上げる。
「何をしている」
 鳩尾に拳が当てられそうになったその時に、凛とした声が辺りにこだました。不意のことで驚いたのか、狼藉をはたらいていた男は押さえつけていた彼の口から手を離す。自由になった頭を動かし声の主を見れば、葵襲の狩衣姿ですっと立つ公達がいた。
「人を攫う様にしか見えぬのだが、だとすれば検非違使の佐として黙っているわけにはいかぬのだが」
 右手は左腰に佩いた太刀に掛け、左手は顎の下へともって来て首を傾げて見せる。
「……主様?」
 小馬鹿にしたような仕種ながらも隙を見せぬ公達、襲い掛かるか逃げ出すか、どちらでもすぐに動けるよう全身を張り詰める男。その二人の緊迫した空気の中で、彼は小さく呟いた。地面から見上げた公達が、彼の知る人にあまりに似ていたから。
 何処かのんびりとしたような彼の言葉に、緊張の途切れた男が彼の身体から離れ、飛びずさる。
「主様!」
 身体を押さえつけていた力がなくなり、自由になった彼はぱっと跳ね起きる。その途端、襲い掛かっていた男は舌打ち残し背中を見せて、脱兎の如くその場を去る。
 勤めに忠実な公達は、すぐに人攫いの男を追いかけようと駆け出す。だがすでに男の姿はどこぞへと消えていた。
 十歩(約5メートル)程追い掛けて、公達はまた彼の元へと戻ってきた。
「怪我は無いか?」
 地面に座り込んだままの彼の顔を心配げに覗き込んだ公達の顔は、間違いなく彼の記憶にある顔だった。名は? と優しく問う顔も、過日切なく別れた彼の想う人のままだった。
「主様は、私の事をお忘れか?」
 覗き込んだ公達に、訴えるように彼は問う。優しくどこぞ痛めたかと聞いてきた公達の目が、大きく見開かれる。さては思い出していただけたかと、笑いかけた彼の頭を、公達が凝視している。
「……耳……」
 優しかった公達の顔が、いつのまにやら強張っている。耳? と首を傾げた彼を指差し、公達は恐ろしいほどの怒鳴り声を上げて彼から離れる。
「狐か! 何の悪さをしに都へと来た!」
「主様、主様が待っておれと申されましたに。別れてからもずっと待ってて、永寧のあの日からも、この国でずっと待っておりましたのに。私の事をお忘れですか」
「離せっ。狐に知り合いなど居らん」
 離れる公達の腰にしがみ付く。何をそんなに意地悪ばかり言うのですかと泣きながらしがみ付いていると、力に任せた公達は彼の腕を振り払う。
「何だ、何だ」
「良くは知らんがあの可愛い童、主に捨てられるところのようぞ」
「なんとなんと。あんなに可愛く、年幼いのにか」
「狐がどうのと言っておるが。あれだな、主人は童に飽いて、狐などと難癖つけて捨ておるんだろう」
 振り払われて地面に倒れ、泣きじゃくる。騒ぎを聞きつけた物売り達が駆けつけて、ひそひそと話すのを耳の端で聞きながら、動きを止めた公達にもう一度彼はしがみ付く。しがみ付きながらもそう言えばと、霞み始めた頭の先にぼんやり何かが引っかかる。しかしぐらぐら揺れる頭では、引っかかった端から疑問が崩れ去る。
 西国からこの東国へと、切られた尾の痛みを癒す為に渡ってかれこれ百年あまり。例え彼の想い人が同じようにこの東国へ渡って来ていたとしても、百年もあればとっくに人は、その生涯を終えているのではなかろうか。だが目の前には紛れもなく、彼の主様が別れた時の姿のままでたっている。けれどかれこれ百年あまり。百年以上も生きる人などおるだろうか。
 ぐるぐる思考が回ると同時に、彼の視界も揺れ始める。全てがどうでも良いように思え始め、掴んだ衣に縋りつく。
 匂梅を思わせる凛とした香の衣に顔を押しつけ目を閉じると、途端に世界もぐるぐる回る。回る暗闇の中で、半分切られた九つ目の尾がしくしくと痛んだ。

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